プロジェクト・ドロブラインタビュー002
Long Interview 福正 大輔
二丁目。私の知らない世界。
私が生まれる前から広がっていた世界。
パパとママが出会う前から、世界はここにあったの。
~「新・月の影で息継ぎを」台本より~
2014年夏。福正は2015年2月のドロブラ復活公演に向けて、台本作りのために試行錯誤を続けている。萩原の死の直後は、彼の遺した言葉だけで作り上げていた台本だが、今回は新しい試みをしてみようと考えた。
2008年の若手演出家コンクールで決勝戦まで進んだものの、そこで酷評され、ドロブラの活動を止めてから6年の月日が流れ、福正は32歳になった。
しかし萩原の言葉は24歳の時で止まったままだった。
「この6年、僕自身さまざまな体験を通じて、物事に対する思いや考えが以前より成熟して来たのだと思います。そのせいか、萩原が遺した台本を読み返しているうちに、それが少し幼く思えるようになってきていました。あいつが生きていた頃とは大きく時代が変わっているということもあるかもしれません」
2006年当時の世の中は、携帯電話はあっても、スマホなど影も形もなかった時代。現在主流となっているSNSは、Facebookが2004年に誕生し、ツイッターがこの年誕生してはいたが、まだ日本にここまで普及していなかった。カリスマブロガーが雨後の竹の子のように登場し、ケータイ小説なるものが出版されるなど、既成のメディアを揺り動かし始めたばかりの頃だ。
今振り返れば、ドロブラが誕生した2000年から萩原が言葉を紡ぎ得ていた2003年ごろまでは、インターネットやデジタルな表現手段に対する無限の可 能性に多くの人が夢を描き、肯定的な側面ばかりがクローズアップされていたようにも思える。そんな世の中を萩原は芝居という最もアナログな手段を通じてカ ウンターパンチを送ろうとしていたのかもしれない。だが現在。ネットが生み出すのは光り輝く未来だけでなく、憎悪や妬み、インモラルな行為など闇に向かう 可能性をも同時に切り開いているのだという事実が明らかになり、ルールや秩序、制度化という対応が追いつかなくなっている状態だ。
福正自身、覚せい剤取締法違反で逮捕された事がネットで拡散し、大いに批判されるという経験をした。その事自体に対して福正は「自分がやってしまった消せない過去」と考えているが、受けた痛手は小さくなかっただろう。だからこそ同時に、バーチャルな世界ではなく、福正大輔という人間をリアルな存在として信頼している人たちからの惜しみない支えの重みやありがたさも実感出来たわけだ。
「そこで2月の公演では、萩原の脚本の中の台詞では、語りきれていない部分を、19世紀後半から20世紀初頭にかけて演劇の伝統的手法を覆し、人間の内面に焦点を当てた事で知られるアントン・チェーホフの戯曲を入れてみようと考えています」
ドロブラとしての活動を休止している間、福正より若い世代の劇団が、萩原の脚本を舞台化してくれたものを観て、いろいろ考えさせられたということもあった。
「何 のてらいもなく、彼らは萩原の作品をド直球で演出してるんです。僕はあいつが生きている時もあいつの本をそのまま演出出来なかった。うがっちゃうし、自分 なりに深く考えてひねくり回して、格闘しながら舞台を作っていたから、彼らの素直さを素晴らしいと感じると同時に、悔しさも感じました。だけどそれ以上 に、あいつの本を本当に理解しているのは僕だけだという自負も感じたのです」
そしてその台本作りを始めようとした矢先、ドロブラ公演に向けてのこのサイトを制作するための資料として、ドロブラの年表を作っている時に福正はある事実に気づかされたのだった。
「萩原の死後、遺した言葉を大切にするためとか言いながら、一言一句変えなかった僕は、結局萩原に依存していたのだと気づきました。つまり僕自身が萩原に執着して、言葉を変えないという言い訳をしながら、あいつの本を舞台化し続ける事で、萩原によりかかっていたのです。だから萩原の脚本で芝居を作って、受けない、稼げないのを、萩原のせいにしていた。年表作りをしていて、もうそろそろあいつを解放してあげなくてはと感じました」
そこに気づいた当初、福正はこの公演を最後に、ドロブラという劇団名も捨てようと考えていた。だがさらに考えて、たとえ萩原伸次の脚本を使わなくても、この名前を残すことが、24歳までしか生きなかった萩原のその後の人生をともに生きることになるのではないかと考えるようになった。
萩原と一緒に芝居に打ち込んだ日々は、確実に福正の中に残っている。それを礎として福正が演劇人としての人生を歩み、成長し続けるなら、それこそが萩原の望むドロブラのありようなのかもしれない。
私が生まれた時にはもう、何もかも出来上がっていた。随分と高みから人を見下ろすビルとか、
よくわからない決まり事とか。
そうだ。
そういった謎を解き明かすため、今、私は行くんだ。
負けちゃ駄目。
私、きっとそういう風に生きて行くんだから。
~「新・月の影で息継ぎを」より~
取材・文:WEBマガジン ヱニシ編集長 竹澤まり
カメラ:宮代伸介