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プロジェクト・ドロブラインタビュー003

Long Interview 福正 大輔

亡命するような、混乱状態に置かれ、
その混乱のまま、
誰が主人公か分からず荒れている世界。
若者達、いや、すべての大人が
彷徨ってしまっている現代の鏡となるような世界。


~「これは俺の物語」台本のト書きより~

 今、福正は、新生ドロブラの展望を描き始めている。
まずは2015年2月の萩原の台本とチェーホフの戯曲を対話させる舞台。これを最後に萩原の台本を使わない方向で展開しようと考えている。それは萩原を解放することであり、福正が独り立ちして演劇人生を歩んで行く第一歩でもある。

「2014年の3月に、キトキト企画という劇団主宰の江間みずきさんと俳優である綿谷優が電話をくれ、じっくり話をしたのです。綿谷くんは僕よりもずっと若い青年ですが、彼のこれまでの波瀾万丈な人生の話を聞き、『本当に芝居の勉強がしたい、俳優として仕事をして行きたい』という熱い思いを聞いていて、“この子のために力になりたい”と純粋に思いました。そしてこれまで僕が培って来た演劇間や技術を彼に伝える事で、僕自身も一緒に学び、一緒に成長出来るのではないかと感じたのです。綿谷を育てたい、という思いも、僕がドロブラを復活させる気持ちを奮い立たせてくれました」
 福正は、「役者はまず技術力だ」と明言している。役になりきる感性や芸術性以前に、発声方法や芝居そのものの意味や根拠を共有して行くためのコミュニケーションの技術がなければ、舞台は成り立たないと考えているのだ。
 

芝居は、脚本家や演出家、役者や舞台装置、照明、大道具、小道具など、多くの人が関わる総合芸術だ。突出した能力を持つ誰か一人によって引っぱられて行 くケースもあるだろうが、福正は関わる人たち全員がその芝居の根拠を共有する事で、何倍もの感動につながることを肌で感じて来た。特に直接観客の前に出る 役者は、一つ一つの台詞の意味や根拠が言えなくてはならないと言い切る。

 

「かつて江間みずきと稽古会をしていたとき、『江間を技術力のある役者にする』というのが僕の目標でした。技術があり、芝居の根拠が言える俳優と一緒に仕事がしたいのです。綿谷にも江間にも、そのような俳優になって欲しいと願ってます」
俳優を育てるためにも、本番を作る。なぜなら本番こそが役者にとって最大の稽古の場になるからだ。福正は2015年2月の講演後の予定も構想している。
「次 は、楢山節孝をやりたいと考えています。僕は今、介護施設で日々老人に接していますが、今日本は急速に高齢化社会になっていること、高齢者に対する社会の 位置づけがきれいごとでは片付けられなくなっていることを日々実感しています。

楢山節孝は、1956年に民間伝承を素材にした深沢七郎の短編ですが、これ までも映像化、舞台化されてきています。これを現在のような超高齢化社会が進む現実があるという文脈で、あらためて表現してみたいと思っているのです」
そしてその次は、ジャン・コクトーの戯曲を……と福正の展望は次々と広がっている。新生ドロブラに新たな脚本家を招く事はないだろうという福正は、今という時代に古典を重ね合わせる事で、観客が自分や自分の人生の意味を確認できるのではないかと考えているようだ。
新生ドロブラ。それは萩原を超えながら、ともに成長して行くことを選んだ福正の、決意と覚悟の物語の始まりかもしれない。

 

男4 これは一人でカラオケにいく、俺の物語。
女4 これは、親に自殺された、わたしの物語。
女  これは、親の介護をしながらダンスを続ける、私の物語。
男 これは、不治の病にかかった、わたしの物語。
女2 これは、光津事故から十年、後遺症に苦しむ、私の物語。
男2 これは、ネット上で袋たたきにされ、現実の世界でも信用を失った、私の物語。

 

~「これは俺の物語」台本より~

 

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取材・文:WEBマガジン ヱニシ編集長 竹澤まり

カメラ:宮代伸介

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